?.放談 「横井君と藤原君、そして赤峰君のあげな話、こげな話」 第98回
戦争責任から逃げ出す朝日新聞

(「朝日新聞の『戦争責任』」のつづき)
赤峰 敗戦直後の8月23日の社説を見てください。
然らばこの点に対する責任は、決して特定の人々に帰すべきでなく、一億国民の共に偕に負うべきものであらねばならぬ。さりながら、その責任には自ら厚薄があり、深浅がある。特に国民の帰趨、世論、民意などの取り扱いに対して、最も密接な関係を持つ言論機関の責任は極めて重いものがあると言わねばなるまい。
横井 これは酷いですね。「言論機関に責任がある」と一応はいってるんですが、その前に「一億国民の共に偕に負うべきもの」と述べて、話をすりかえて責任逃れをしているんですね。この論理は、「騙した方が悪いかもしれないが、騙された国民の方がもっと悪い。国民が愚かだったんだ」と言ってるのと同じですよ。本当に「朝日新聞自身が悪い」と思ったのなら、国民の責任話は持ち出さないですよ。まるで、詐欺師の言い分です。慰安婦に関する吉田証言取消に関する報道(※1)もこれにそっくりです。
(※1)吉田証言取消に関する報道:慰安婦問題に光が当たり始めた90年代初め、研究は進んでいませんでした。私たちは元慰安婦の証言や少ない資料をもとに記事を書き続けました。そうして報じた記事の一部に、事実関係の誤りがあったことがわかりました。問題の全体像がわからない段階で起きた誤りですが、裏付け取材が不十分だった点は反省します。似たような誤りは当時、国内の他のメディアや韓国メディアの記事にもありました。
赤峰 この間の背景を前出の稲垣武氏が解説しているものがありました。
朝日と覇を争って軍国報道に血道を上げた毎日新聞が、終戦直後に社長以下、有力幹部が責任をとって続々辞任したのに比べ、朝日は、社主の村山派と反村山派の権力抗争が繰り広げられ、実に3カ月を経た11月に両派が退陣するまで、すべてが曖昧にされるのである。
藤原 ところで、戦後、多くの識者が朝日新聞に対する「戦争責任」を追及していましたが、朝日新聞は何か回答していますか?
赤峰 『週刊新潮』平成14年8月29日号によると、同誌の質問にこう回答しています。
「朝日新聞は、自らの戦争責任を明確にするため、社長以下の役員、編集幹部が退陣し、1945年11月7日の1面に宣言『国民と共に立たん』を掲載して、国民の側に立った新聞社になることを誓い、以来それに沿った新聞づくりを進めてきました。戦前の小紙の振る舞いについては、ひとことで総括できるものではありませんが、戦後50年にあたる1995年の2月以降に連載した、自らの戦争責任を検証する企画記事をはじめ、折々に、検証記事を載せています」(広報室)
藤原 「1945年11月7日1面」の記事とはなにか、わかりますか?
赤峰 「宣言 國民と共に立たん 本社、新陣容で『建設』へ」ですね。
支那事変勃発以来、大東亞戰争終結にいたるまで、朝日新聞の果たしたる重要なる役割にかんがみ、我等こゝに責任を國民の前に明らかにするとともに、新たなる機構と陣容とをもつて、新日本建設に全力を傾倒せんことを期するものである
今回村山社長、上野取締役会長以下全重役、および編集総長、同局長、論説両主幹が総辞職するに至つたのは、開戰より戰時中を通じ、幾多の制約があつたとはいへ、眞実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果たしえず、またこの制約打破に微力、ついに敗戦にいたり、國民をして事態の進展に無知なるまゝ今日の窮境に陥らしめた罪を天下に謝せんがためである
今後の朝日新聞は、全従業員の総意を基調として運營さるべく、常に國民とともに立ち、その聲を聲とするであらう、いまや狂瀾怒涛の秋、日本民主主義の確立途上來るべき諸々の困難に対し、朝日新聞はあくまで國民の機関たることをこゝに宣言するものである
藤原 これ全文ですか?
赤峰 そうです。
藤原 これにも,一片の謝罪の言葉がないですね。先日の従軍慰安婦「取消」記事とまったく同じ精神構造ですね。先ほどの週刊新潮に回答した内容から、少しぐらいは謝罪しているのかと思いましたが。随分と厚かましいんですね。
赤峰 たびたび引用している元朝日新聞の稲垣武氏もこう断定しています。(2006年時点)
朝日新聞が自らの戦争責任を総括したことはいまだに一度もありません。戦後50年を経た95年2月、『メディアの検証』という連載記事を掲載し、これも自らの戦争責任を総括したかのような形式をとりましたが、それもメディア論という手法を用いたもので、当時の状況を他人事のように扱う実に不完全なものでした。本来なら1面で、堂々と社長名で総括すべきものを姑息なすり替えでごまかしたのです。つまり、朝日はいまだに一度も国民に”謝罪”していない。戦後57年を経ても、自らの戦争責任を総括できず、一方で日本の戦争責任を追及しつづける。それが朝日新聞なのです。
横井 やはり、責任をとらない新聞社なんですね。朝日新聞の思想には、「何をどういっても構わない」、「それが思想の自由であり、言論の自由なんだ」という大変傲慢な考え方があるのでしょう。
だから、南京大虐殺という虚構を作り出したり、靖国神社参拝という国内問題を中国に告げ口し外交関係をこじらせたり、さらには、従軍慰安婦という虚構を広めて日本を人権問題で国際社会から責め立てさせたりと・・・。
朝日新聞は、戦前、戦中、戦後を通して、日本を奈落の底に突き落とす方向に力を注いでいる新聞社としか言いようがないですね。
藤原 それで、朝日新聞が決定的に変質したときがあったと思うんですが、横井さん、それはいつの時点だとお考えですか。
横井 日本が敗戦になって連合国軍の占領を受けました。その占領政策によって朝日新聞も当然方針を転換しましたが、なんといっても、新聞発行停止措置を受けた時点から、変節が始まったのではないかと思います。
藤原 なるほど、占領政策が大きな影響を及ぼしているということですね。たしかに、マッカーサー率いる連合国総司令部=GHQ(※2)によって数々の「日本弱体化」政策をとりました。二度と欧米列強に日本が立ち向かってこないようにと徹底的に日本の精神的な核の部分を破壊しようとしましたからね。
(※2)GHQ: General Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers
このGHQの中で、日本の弱体化政策を進めたのが「民政局」です。そして占領期後半の「日本を反共の砦に」としての政策を進めたのが「参謀第2部」で、両者の対立はあったのですが、それでも言論機関に対しては徹底して「プレスコード」(※3)で弾圧してきました。
(※3)「プレスコード:」新聞などの報道機関を統制するために発せられた規則(新聞紙法)である。これにより検閲が実行された。
横井 GHQ参謀第二部民間検閲支隊内に新聞映画放送部(PPB)が新設され、主要新聞は事前検閲、それ以外の新聞は事後検閲となりました。あらゆる形態の印刷物、通信社、ラジオ放送、映画、宣伝媒体に属する他の娯楽も検閲を受けることになっています。その内容は30項目(※4)からなり、「削除または掲載発行禁止の対象となるもの」がまとめられています。
(※4)30項目:SCAP(連合国最高司令官総司令部)に対する批判、極東軍事裁判批判、SCAPが憲法を起草したことに対する批判、検閲制度への言及、合衆国に対する批判、ロシアに対する批判、英国に対する批判、朝鮮人に対する批判、中国に対する批判、他の連合国に対する批判、連合国一般に対する批判、満州における日本人取り扱いについての批判、連合国の戦前の政策に対する批判、第三次世界大戦への言及、ソ連対西側諸国の「冷戦」に関する言及、戦争擁護の宣伝、神国日本の宣伝、軍国主義の宣伝、ナショナリズムの宣伝、大東亜共栄圏の宣伝、その他の宣伝、戦争犯罪人の正当か及び擁護、占領軍兵士と日本女性との交渉、闇市の状況、占領軍軍隊に対する批判、飢餓の誇張、暴力と不穏の行動の煽動、虚偽の報道、SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及、解禁されていない報道の公表
藤原 この検閲制度のやり方も実に巧妙で、新聞を読んでいる人には検閲があったことすらわからないものでした。これが戦前ですと、検閲に引っかかったものは「××××」で記されますが、GHQのプレスコードでは、検閲で削除されたところは、別の言葉で置き換えられたわけです。
たとえは「占領軍兵士が暴行をはたらいた」という文言の「占領軍兵士」は「おおきな男」に置き換えられることになります。つまり、「おおきな男が暴行をはたらいた」となります。すると読者は検閲があったことすら気がつかなくなります。
横井 これに 真っ先に迎合したのが朝日新聞ですね。それまでは、「国民に戦争を煽っていた」朝日新聞も発禁停止処分を受けて急にトーンダウンし、それ以降はGHQの「優等生」に変身していきましたからね。
つづく
11:30に 韓国関連のお話三つ(ローマ法王、産経名誉毀損、日本水軍との戦い描く映画)をアップします。
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