?.放談 「横井君と藤原君、そして赤峰君のあげな話、こげな話」 第97回
朝日新聞の「戦争責任」

赤峰 8月12日から、朝日新聞社の命運をかけた『戦後70年へ』キャンペーンが始まりました。朝日新聞の常套手段である「戦争の残虐さ」を前面に打ち出すことによって、「反戦」、「厭戦」のムードを盛り上げようとしているように思えます。
横井 デジタル版でしか見ていませんが、いかに戦争が悲惨で残酷なものであるかを訴えたいのでしょう。たしかに戦争は悲惨ですし、誰もが戦争なんかはしたくない。
しかし、外国からの攻撃に対し、武力で守らなければならない場面だってありうるわけです。そういう背景などを排除して、「戦争が悪い」というだけのキャンペーンであれば、朝日新聞の「戦後70年へ」キャンペーンは、戦後から昭和の終わりまで繰り広げた日教組の「反戦」教育となんの変わりもないものだと思います。
藤原 そうですよね。朝日新聞の意図は、「反戦」を強く打ち出すことによって、「日本はこんな悪いことをしたんだ」という日本を貶めることを画策しているんでしょう。その上で、朝日新聞が報じた慰安婦問題が捏造であることをごまかせると思ったのでしょう。
戦争の残虐な行為だけに目を向けさせて慰安婦問題を消してしまおうという狙いもあるのだと思いますよ。
横井 おそらく朝日新聞の狙いとしては、第一に「戦争の悲惨さ」を強調することによって、「慰安婦捏造問題」から目をそらしたい。戦争はこんなに悲惨であって、日本もこんなに悪いことをしたのだから、「慰安婦問題」などはほんの小さな一例だとして矮小化したいのでしょう。
第二が、戦争の悲惨さを徹底的に述べることで「反戦」よりも「厭戦」気分にさせる。そういう厭戦気分が蔓延すれば、集団的自衛権の法制化論議などは潰せると計算しているのでしょう。
そして、第三が集団的自衛権論議を潰す裏の意図である、「中国による日本支配を手助けする」ことができるわけです。
こうした思惑の元に、「これでもか」といわんばかりに「戦争の悲惨な物語」を毎日、しかも写真入りで掲載していると思うのですよね。
藤原 その意図の上に、朝日新聞は「正義を貫く」という姿勢をみせようとしているのでしょうね。つまり、戦前の戦争は、日本という国家、軍部が積極的に推進したのであるということを言いたい。そして、朝日新聞はあたかも戦争には加担していなかったとごまかしたいと思われるのですが・・・。
横井 ここが朝日新聞の狡猾なところなんですよね。
赤峰 そこで今回は、「朝日新聞の戦争責任問題」を取り上げてみたいと思います。
朝日新聞は、今回の慰安婦問題を「取消」はしたけれど、あたかも自分たちには責任はないという態度を示しています。このような無責任な態度は、朝日新聞の過去の報道をよく見れば、似たような事例がたくさんあります。したがって、この点を通して朝日新聞の本質的な問題について探って生きたいと思います。
藤原 そうですね。朝日新聞は小賢しすぎるというよりも卑怯な振る舞いが多いですからね。
「朝日新聞戦争責任論」で言いますと、戦時中は、朝日新聞こそが戦争のアジテーターだったわけですよね。実際のところ、朝日新聞があのように日本国民を煽らなければ、戦争にならなかったのかもしれません。当時の日本政府も戦争回避の努力は必死で行っていましたからね。
でも、それを国民が戦争への道を選択した。その背景には、マスメディア、とりわけ朝日新聞による凄まじいばかりの世論形成があったからですよね。
横井 そのことを、元朝日新聞の記者で、堂々と朝日新聞と戦っておられた稲垣武氏も、「朝日新聞が軍国路線に転じたのが、満州事変以後のことである」と述べておられたと思いますが・・・。

赤峰 これでしょうか。
当時は、日本人全体に軍部に対する反感があり、軍人が軍服のまま電車に乗るとうしろ指をさされるような雰囲気がありました。しかし、満州事変勃発以後、国民感情は転換する。満州国建国によって国内の閉塞感が一気に突き破られる感じを受けたからなんですが、朝日はそれでもなかなか軍部を持ち上げるような記事は書かなかった。しかし、そうした朝日の報道に九州の在郷軍人会が不買運動を始め、ライバルだった毎日新聞が、朝日は売国的だ、という内容のビラを撒くようになる。そこで朝日は役員会を開き、方針転換をはかるのです。朝日は以降、堰を切ったように戦争を肯定し、推進する論陣を張るようになりました。
藤原 当時から、朝日新聞は変わり身が早いというか、変節漢そのものじゃないですか。この変節ぶりが、敗戦時や、そしてGHQによる日本占領時にも起きるんですね。節操がないんですね。
赤峰 その頃の朝日新聞の見出しの違いがよくわかるものがあります。
最初は「ヒトラー総統独裁」と批判気味だったのですが、ヒトラーが満州国を承認する発言をすると、「衝撃の大演説」、「獅子吼するヒ総統」とわずか2週間で賞賛するようになっています。
その後、ヒトラー・ユーゲントが来日する頃には「若き防共使節団帝都入り」、「海路をはるばる来朝したお友達━━ヒトラー・ユーゲント代表」などと、ナチス・ドイツ礼賛者に転向しています。
横井 いや、これは酷いな、ナチス・ドイツのホロコーストをいまや目の敵にして報道している朝日新聞とはとても思えませんね。
ということは、大東亜戦争時の報道もそういうものばかりなんでしょう?
赤峰 代表的な例を挙げてみます。まず、満州事変のあとに、朝日新聞は『満洲事変小史』という冊子を発行していますが、以下のように関東軍を賞賛しています。
こゝに至るまで、茫々千里の広野、酷寒言語に絶せる天地に転戦し、移駐し、あらゆる困苦欠乏に堪えて、この重要な日本の生命線を守る貴い任務を遂行せられた関東軍将士の辛労と勲功は絶大なものがあります。本社は茲に『満洲事変小史』を編纂して、これを凱旋の将士に贈り、その偉業を記念するとゝもに感謝の微意をいたし、(以下略)
さらに、大東亜戦争開戦直後の社告にはこのような戦争協力文を載せています。
大東亜共栄圏確立の聖業に邁進しつゝある戦況にかんがみ、本社はこの歴史ある国民運動をこの際、更に強化して「 千機、二千機われらの手で」の目標を達成したい念願に燃ゆるものであります。国民各位はこの愛国機献納運動の主旨に賛同され、さらに強力無比の大空軍建設に資するため一層のご協力を賜らむことを切望する次第であります。
藤原 これじゃ、朝日新聞は積極的に先の戦争に加担していたというのが、完全にわかってしまいますね。いま、かれらは、被害者のような顔をしていますが、当時の朝日新聞は、加害者以上の戦争礼賛者、軍国主義者であることには、もはや否定できなくなってしまいました。
赤峰 これをみたらもっと驚きますよ。開戦直後の新聞の見出しだけ集めてみました。
「ハワイ・比島に赫々の大戦果 米海軍に致命的大鉄槌」、「米太平洋艦隊は全滅せり」、「我損害、率直に公表 米、苦しまぎれのデマ」、「味方”に狼狽、同士討 無電むなし忽ち七十余機撃墜 笑止、ハワイの高射砲」、「確保せよ”南の富” 洋々たり、我が資源作戦」、「(『大東亜戦争』の呼称に対し)大理想、直截に表現 対米英戦の呼称決す」、「初作戦の落下傘部隊 南海の大空に純白の戦列 着陸!忽ち敵陣地へ猛攻 壮絶、海軍のセレベス急襲」、「この万歳 全世界も聞け 一億の歓喜と感謝 けふぞ爆発」
横井 朝日新聞は、戦争遂行のために国民を洗脳し、鼓舞しつづけていたわけですね。報道機関としての立場を完全に逸脱しています。
赤峰 開戦から6ヵ月後の1942(昭和17)年6月4日、日本海軍はミッドウェー海戦で連合艦隊は大敗北を喫し、戦局は一気に日本不利へと傾きました。しかし、そのようなときであっても戦局は有利と国民を煽りつづけています。こういう話まで持ち出していいます。
「軍用機献納運動の強化」:「大東亜共栄圏確立の聖業に邁進しつつある戦況にかんがみ、本社はこの歴史ある国民運動をこの際、更に更に強調し強化して『千機、二千機われらの手で』の目標を達成したい念願に燃ゆるものであります。国民各位はこの愛国機献納運動の主旨に賛同され、さらに強力無比の大空軍建設に資するため一層のご協力を賜らむことを切望する次第であります」「本社が10万円、社長・会長がそれぞれ1万円を献金」
藤原 これでは、軍部だけが悪いなんてとても言えたものではないでしょう。
この頃でしょう? 朝日新聞が「欲しがりません勝つまでは」とか「撃ちてし止まん」とかの戦時標語を大政翼賛会と協賛して標語を募集したのは。また、「敵来たらば『一億特攻』で追い落とそう」とか「老人も女も来るべき日に備えよ」と煽りに煽っていたんですよね。
赤峰 それ以外にも、戦地から戻った特派員に”記者報告会”を開催して軍部寄りの意見を述べる講演をさせています。
このような狂気とも思える報道姿勢ですから、敗戦直前の1945年7月になっても、依然、常軌を逸した報道を行っています。
「本土決戦必ず勝つ 敵近づけば思ふ壺 その機掴んでわが戦力爆発 特攻隊に学ぶ」、「敵の非道を討つ」、「いかに敵が焦慮の新戦術を実施しようとも、一億の信念の凝り固まった火の玉を消すことはできない。敵の謀略が激しければ激しいほど、その報復の大きいことを知るべきのみである」
横井 戦争をひたすら礼賛し、国民を逃げ場のない洗脳状態に放り込むその先頭に立ったのが、朝日新聞であった。これが改めて立証されたわけですが、それが敗戦と同時に、態度を豹変させるんですよね。
つづく
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