?.放談 「横井君と藤原君、そして赤峰君のあげな話、こげな話」 第116回
朝日新聞九つの大罪――諸悪の根源としての朝日新聞(1)

横井 9月11日の朝日新聞の記者会見をLIVEでみておりました。朝日新聞木村社長の心のこもらない謝罪の言葉を聞きながら、これで、ますます朝日新聞は窮地に立たされるのだろうと感じておりました。また、朝日新聞とはなんという罪作りの新聞なのだろうか、その上に、日本の闇の部分に深く関わっているのではないかなと思いながら画面をみつめていました。
そこで、ふと思いついた朝日新聞がつくり出した日本の闇を羅列いたしますと、こんなにもたくさんでてきました。日本の破壊しか考えていないようです。
?反日の偏向教育=日教組、共産党、社会主義者と手を組み、反日教師を量産させた
?歴史観を歪めた=朝日新聞の三大捏造「南京大虐殺」、「靖国問題」、「従軍慰安婦」
?市民運動という名の反日活動を助長させた=日本の正常な発展を妨害するために反対運動を煽った
?国防意識を欠如させた=自衛隊は「悪」、国防も「悪」として、「平和幻想」をふりまいた
?暴力装置の幇助=在日韓国人犯罪を通名で隠蔽し、犯罪行為を助長させた
?拉致問題の原因を作った=北朝鮮への帰還事業が拉致問題の最大の原因
?日韓、日中関係を悪化させた=朝日新聞のマッチポンプ報道が全ての原因
?左翼文化人の跳梁跋扈=朝日新聞が左翼文化人を育成した
?日本にとって有為な人物の抹殺をはかった=朝日報道で葬り去られた人間が多くいる
藤原 こうやって羅列すると改めて朝日新聞の罪の大きさに愕然とします。正義の仮面を被った裏側に潜む朝日新聞の闇の深さに憤りを感じます。朝日新聞は諸悪の根源そのものということなのですね。朝日新聞の報道が、日本人の目を濁らせてしまった。
赤峰 日本人は朝日新聞報道による被害者であったということがよくわかります。これは徹底的に朝日新聞を糾弾しなければなりません。これまで、当ブログでは、朝日新聞批判を連日のように行ってきましたが、改めて、横井さん提言の九つの視点から、再度、朝日新聞を論じないといけないですね。項目順に考えて見ましょう。
?反日の偏向教育=日教組、共産党、社会主義者と手を組み、反日教師を量産させた
藤原 戦後の日本の思想がマルキシズムに左旋回した理由は、敗戦後の日本を統治した米占領軍GHQの政策に起因すると思います。とくに、日本の弱体化政策を進めた「民政局」は、「日本を日本たらしめる」思想を徹底的に解体しようとしました。このGHQ民生局のメンバーは社会主義者で、占領政策を通して日本を社会主義の実験場にしてみたかったのではないかといわれている人たちです。
その動きに、真っ先にとびついたのが、日本共産党でした。そして、それに続いて迎合したのが朝日新聞であるというのはあまりにも有名です。
赤峰 朝日新聞の転換点は「発行停止処分」でしょう。GHQからの二日間の発行停止を受けてから、朝日新聞はガラリと論調を変えます。軍国主義の先兵だった朝日新聞が共産党支持に変わるという、変わり身の早さをみせました。早速、こんな記事を書きます。
1945年10月11日付 朝日新聞
十五年の忍苦の甲斐あって今回解放された日本共産党徳田球一、志賀義雄、金天海氏等十五氏を迎へる『人民大会』は十日午後二時から日比谷公会堂の広場で遂行されるはずであったが、飛行館に変更し、(略)『民主主義万歳』『生活必要物資ハ人民ノ管理ニ』等のアジビラの下には、(中略)デモクラシーと共産主義を謳歌し、天皇制の打倒なくして人民の真の解放はありえないと絶叫した。(中略)大会終了後直ちに赤旗を打ちふって街頭デモに移りマッカーサー司令部前で万歳を叫んで解散した。
横井 それ以降、朝日新聞は日本共産党や社会主義者とほぼ歩みを一つにしたといってもいいでしょうね。そして、1947年には日本教職員組合(日教組)が結成されることになるわけですね。
赤峰 日教組は、GHQの命令でつくられたものです。当初は「民主主義教育の推進」が理念でした。しかし、次第に、政治色を強め、1951年1月には「教え子を再び戦場に送るな、青年よ再び銃を取るな」というスローガンを採択して、文部省の方針に対立する運動を開始しています。
藤原 この前あたりから、日教組は、社会主義者や朝日新聞のマルキシズムの影響を色濃く受け始めたということになりますね。
横井 日教組の最大の犯罪行為といえるのは教育の場に「政治思想」を持ち込んだことでしょう。子供たちを強引に洗脳しようとしたわけです。
親たちはそれに対して反対できなかった。その理由は、「先生という存在は尊敬すべき聖職者である」というイメージが残っていたことと、さらに、「子供を人質にとられている」という感覚がありました。ですから教師にはさからうことができません。
藤原 しかも、朝日新聞が日教組などの反日勢力の肩を持つものですから、言論機関の声の大きさに押されて保守的な発言ができなかったわけです。少しでも愛国的な発言をしようものなら「反動だ」、「ファシズムだ」などの言葉が浴びせられましたからね。
赤峰 こういう状況下では、教育の現場では正しい言論は通じません。いつも声の大きい者が正義となってしまします。圧力民主主義の誕生です。こうして教育現場では、朝日新聞的言論が大手をふっていったわけですね。
横井 その意味でいえば、朝日新聞、日本共産党や社会主義者、日教組は密接にリンクしていて、日本全体を大きく左旋回させようとした存在だと言えます。メーデーなんか見ても、学校の先生が、赤い鉢巻をして、赤旗を持ってデモをしていました。
藤原 その頃に思想教育や反戦教育の兆しがみられました。小学校で『ビルマの竪琴』という映画を「反戦映画」として見せられた記憶があります。戦争反対を植え付けたかったんでしょう。でも、後になって知りましたが作者の竹山道雄氏は児童文学作品として書いたのであって反戦の意図はなかったようです。
横井 そうした時代の空気を朝日新聞などが一所懸命作ろうとしていたのでしょう。「反米・親ソでマルクスを読むのがインテリである」というのが一種の流行でしたからね。
赤峰 その朝日新聞ですが、それ以上に左傾化する時代が到来します。これは、1967年に広岡知男氏が社長に就任する頃からです。
中国の文化大革命時に、日本のマスコミは朝日新聞を除いて追放されましたことがありましたよね。広岡氏は北京赴任者に次のようにいったそうです。
それを書けば国外追放になるという限度があるだろう。そのときは一歩手前でとまりなさい。極端にいえばゼロでもいい。書けなきゃ見てくるだけでもいいんだ。
また、元朝日新聞社研修所長だった本郷美則氏はこう語っています。
お家騒動で、広岡知男が政権を奪い、体制を左翼・組合人脈・経済部出身者を軸に固めるようになってから、様相は一変した。朝日新聞社は、明確に一九六四年の広岡政権樹立以来、新聞社というより、社会主義革命を志す活動家を主流とするプロパガンディストの政治集団と化して、今日まで、その面妖な人脈の支配を連綿と続けているのだ。
横井 これ以降、意図的な偏向報道や捏造報道により、日本の歴史観を大きく歪めはじめたということですね。
つづく
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