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放談(123) 反日思想の撒布【戦後から1960年代まで】――諸悪の根源としての朝日新聞(8)

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?.放談 「横井君と藤原君、そして赤峰君のあげな話、こげな話」 第123回 

反日思想の撒布【戦後から1960年代まで】
      ――諸悪の根源としての朝日新聞(8)





(「中国の罠におちる――諸悪の根源としての朝日新聞(7)」のつづき)

?―1/4 左翼文化人の跳梁跋扈=朝日新聞が左翼文化人を育成した


赤峰 2014年9月15日の産経新聞の1面に京都大学教授の佐伯啓思氏が「歴史観の欺瞞示す朝日虚報」ということを書いています。一部引用いたします。

私が学生のころといってももう40年ほど前のことだが、朝日新聞は圧倒的な権威をもっていた。いわゆるサヨク全盛の時代である。とりわけ学生にとっては新聞といえば朝日であった。その朝日新聞が「炎上」している。(中略)

戦後日本は大東亜戦争を、日本のアジア進出が引き起こした侵略戦争とし、その反省に立って戦後の民主主義、平和主義国家へ転換を果たしたことになっている。戦争を引き起こしたのは世界制覇を意図した軍国主義的な勢力であるとするポツダム宣言を受け入れ、その下でアメリカの占領を認めたのである。この歴史観を受け入れる限り、戦後の日本はアジア諸国に対して加害者となる。かくて戦後の日本人はアジア諸国に対するある種の負い目を感じてきた。とりわけ中国、韓国に対してはそうである。(以下略)


藤原 佐伯氏の分析をみれば、戦後からの朝日新聞の立ち位置がよくわかりますね。まさに、日本は戦争の加害者であって、それを糾弾するのが朝日の使命であると自負しているわけですね。この論理に立つならば、朝日新聞こそが加害者の筆頭なのです。大東亜戦争を煽り続けたのは朝日新聞【※1】であったわけですから。

【※1】開戦直後の朝日新聞の見出し:「ハワイ・比島に赫々の大戦果 米海軍に致命的大鉄槌」、「米太平洋艦隊は全滅せり」、「我損害、率直に公表 米、苦しまぎれのデマ」、「味方”に狼狽、同士討 無電むなし忽ち七十余機撃墜 笑止、ハワイの高射砲」、「確保せよ”南の富” 洋々たり、我が資源作戦」、「(『大東亜戦争』の呼称に対し)大理想、直截に表現 対米英戦の呼称決す」、「初作戦の落下傘部隊 南海の大空に純白の戦列 着陸!忽ち敵陣地へ猛攻 壮絶、海軍のセレベス急襲」、「この万歳 全世界も聞け 一億の歓喜と感謝 けふぞ爆発」


横井 こういう自分の立場を巧妙にすりかえるところが、戦後の進歩的文化人といわれた人の狡猾さですね。加害者であるべき自分をいつのまにか被害者として振舞い、まるで免罪符を手に入れたかのごとく日本を断罪してきました。朝日新聞、岩波文化人、日本共産党、これらは一卵性の三つ子のようなものですね。

現在の論調からすると、朝日新聞と日本共産党は微妙に違うように思えるかも知れませんが、同根です。これは、日本共産党が占領軍GHQによって解放されたときの朝日新聞の論調【※2】をみればすぐにわかります。共産党の解放をわがことのように喜んでいます。

【※2】1945年10月11日付 朝日新聞:十五年の忍苦の甲斐あって今回解放された日本共産党徳田球一、志賀義雄、金天海氏等十五氏を迎へる『人民大会』は十日午後二時から日比谷公会堂の広場で遂行されるはずであったが、飛行館に変更し、(略)『民主主義万歳』『生活必要物資ハ人民ノ管理ニ』等のアジビラの下には、(中略)デモクラシーと共産主義を謳歌し、天皇制の打倒なくして人民の真の解放はありえないと絶叫した。(中略)大会終了後直ちに赤旗を打ちふって街頭デモに移りマッカーサー司令部前で万歳を叫んで解散した。


藤原 現在の共産党は仮面を被っておとなしく見せかけている存在ですが、当時の共産党は暴力革命を起すと宣言している過激派集団でした。「軍事方針」に「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」として「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない」と掲げているほどでした。

実際、警察署等襲撃(火炎ビン、暴行、脅迫、拳銃強奪)、警察官殺害(印藤巡査1951.12.26、白鳥警部1952.1.21)、検察官・税務署・裁判所等官公庁襲撃(火炎ビン、暴行)などを行っています。また、1952年には血のメーデー事件【※3】、吹田事件【※4】、大須事件【※5】の三大騒擾事件を起こしています。すべて、北朝鮮を支援する在日韓国人との共闘です。

【※3】血のメーデー事件:、1952年5月1日、皇居外苑で発生した、デモ隊と警察部隊とが衝突した騒乱事件。在日韓国人、日雇い労務者ら6000名が参加し、1232名が逮捕され、うち261名が騒擾罪の適用を受け起訴された。

【※4】吹田事件:1952年6月24日大阪大学で「伊丹基地粉砕・反戦独立の夕」が開催、学生や在日韓国人など約1000人が参加しデモ。吹田駅で警官隊と衝突し、111人が騒擾罪で起訴された(被告人1人は韓国に強制送還された)

【※5】大須事件:1952年7月7日名古屋市大須球場に1000名の日本共産党員や在日朝鮮人が集まり無届デモを始めた。制止しようとする警官隊にデモ隊は四方に分散して波状的に火炎瓶攻撃を行う。最終的に269人(半数以上が在日韓国人)を検挙した。


赤峰 騒擾事件が相つぎますと、知識人といわれた人は「革命が起きる」と信じ込んで、別にマルクス主義でもないのに、急に、反日的言動をとりはじめたと聞いています。革命にでもなったら知識人が一番先に糾弾される対象ですから、こうした騒擾は知識人に暗い影を投げかけたんだと思います。

横井 そういう時代背景の中で、知識人に悪影響を与えたのが朝日新聞であり、岩波書店の『世界』という雑誌だったわけですね。両者とも、共産党へのシンパシーを感じているからこそ、反日・反米、親ソの論調で誘導してきたわけですよね。いまの親中の路線の前は、親ソでした。共産主義革命の国・ソ連への憧れが非常に強かったのも朝日新聞や岩波の特徴でした。

赤峰 九州大学に労農派マルキストの向坂逸郎という名物教授がいましたが「社会主義政権になれば軍隊を持っても良い」とか「ソ連は日本などよりはるかに自由な国で、思想の自由も日本とは比べものにならない」と言い切った人がいたくらいですから。朝日新聞同様、自分に都合のいいところだけを切り張りして論文にしていますよね。

藤原 ところで、戦後の初めの過激な共産党の暴力革命闘争は、国民から嫌われまして、共産党も分裂します。いまの過激派の母体となったグループと、穏便な大衆運動路線という二つのグループです。いまの日本共産党は後者になります。ただし、穏便にみせかけているだけです。            
1952年に日本共産党の幹部だった志賀義雄氏がこんなことを言っています。

「何も武装闘争などする必要はない。共産党が作った教科書で、社会主義革命を信奉する日教組の教師が、みっちり反日教育を施せば、三、四十年後にはその青少年が日本の支配者となり指導者となる。教育で共産革命は達成できる。」、「青少年に対し祖国の前途に対する希望の灯を奪い、祖国蔑視、祖国呪詛等の精神を植え付けることが、革命への近道だ」


横井 志賀氏の言葉通りの展開になって戦後教育が行われてきたわけですね。その旗振り役が朝日新聞であったわけです。あの頃から、朝日新聞は、日教組教育を批判しようものなら、紙面で「保守反動」、「ファシズム」などの罵声を浴びせて、保守的な意見を圧殺してきたわけです。

藤原 ところで、横井さん、こうした反日思想の理論的支柱になった人物がいると思うのですが、その特徴的な人物を挙げていただけませんか?

横井 時代を区切りながら、また朝日新聞の思想性を加味しながら分析をしてみましょう。戦後の初めは、南原繁氏とその弟子の丸山真男氏でしょう。

南原氏は東大の総長になった人物で、1951年のサンフランシスコ講和条約【※6】をめぐって、時の吉田茂首相と激しく対立し、吉田茂氏から「曲学阿世の徒」と名指しで批判されたことで有名です。また、「昭和天皇の自発的退位」を主張した人でもあります。

【※6】サンフランシスコ講和条約締結をめぐっては、『西側陣営』と講和を結んで独立を果たそうとする【吉田首相ら保守陣営】のか、全面講和と言う形でソ連などを含む【南原らソ連派】との論争があった。当時は東西冷戦がはじまり、全面講和では日本は独立は不可能な状態であった。また、その弟子に当たるのが、丸山真男氏です。日本の政治学やジャーナリズム論の教祖になっていて、未だに丸山氏の著書【※7】が学生たちに推奨されています。

【※7】『日本の思想』:この中にある『「である」ことと「する」こと』は高校の現代文の教科書にも採用されている。


赤峰 丸山真男氏がジャーナリズムに与えた影響は大きいようですね。朝日新聞にとっても大変尊敬する人物のようで、著作物をかなりの数、発行しています。

藤原 1960年の日米安保条約締結のときには、丸山氏、安保反対の市民運動の旗手になって行きますね。丸山氏は、日米安保条約批准の強行採決を批判し、民主主義を守ると主張して2500人の前で演説をしたという話があるくらいですから。そういう丸山氏の姿勢に朝日新聞は大喜びだったはずです。

横井 あの当時の安保反対の運動は熱病みたいなもので、日本人のナショナリズムを反米に向けさせたソ連の思惑が強く働いているものでした。この闘争は、米ソ冷戦の真っ只中で、ソ連に肩入れする反日勢力が朝日新聞などのマスコミを通じて「安保反対」の機運をつくっただけのものなんですね。だから、反対を叫ぶ殆どの人が「日米安保条約」の内容を知りませんでした。相当に日本に有利な条約で、アメリカが片務的に「日本を守る」という条約だったのですが・・・。

それでも安保反対派は「強行採決が悪い」、「アメリカと手を組むと戦争になる」とかいう極めて情緒的な反対運動を行っていました。

赤峰 ところで、この安保闘争の際に、また一人、有名な扇動者がでてきますね。社会学者の清水幾太郎氏です。かれについての分析も横井さんお願いします。

横井 清水幾太郎氏ほど思想的に数奇な運命にあった人はいないのではないでしょうか。戦中は読売新聞の論説委員として戦争に協力し、戦後はマルクス主義に近い立場をとって「進歩的知識人」のまとめ役になって安保闘争の主役のアジテーターになりました。そして、安保挫折後は、「日本に回帰【※8】」したといわれています。

【※8】『日本よ 国家たれ:核の選択』(諸君)で平和運動を批判した。これにより保守論壇から大歓迎で迎え入れられた。

SBI大学院大学客員教授で評論家の池田信夫氏は清水氏をこう評価しています。

清水の軌跡は、朝日新聞に重なる。戦時中は軍国主義だった朝日は、戦後は絶対平和主義に転向する。60年安保のときも、清水と同じように「安保条約は憲法違反だ」とか「強行採決は民主主義の破壊だ」という論陣を張ったが、条約の内容にはふれなかった。それは旧安保を日本にとって有利に改正するものだったからだ。

そして清水が「核の選択」を書いたころ、朝日新聞は原発推進の論陣を張る。これも動機は同じだ。「革新陣営」の賞味期限が切れ、「現実派」のほうが受けるようになったからだ。このころは石油危機の衝撃もあり、大江健三郎氏まで含む多くの人々が「原子力の平和利用」に希望を見出していた。

藤原 朝日新聞は、丸山真男と清水幾太郎という二人のアジテーターとともにあり、そして、志賀義雄氏がいう「青少年に対し祖国の前途に対する希望の灯を奪い、祖国蔑視、祖国呪詛等の精神を植え付けることが、革命への近道だ」との考えを忠実に歩んできたと言えますね。

赤峰 それでは、ここで戦後の思想界を評論している識者からのお言葉をいただきます。

・今も昔も、反日思想家たちは、理論の根拠が浅く、人々の幸福を願う精神性も希薄です。


・はっきり申し上げると、知的考察や、歴史の検証能力の程度が低く、思想的な深みはありません。

・その理由は、彼らの理論の前提となる動機の部分にあります。

・「政権を倒したい」「国家を転覆させたい」「日本を他国に侵略させたい」という思いに根ざしているからです。


・ここには国家を愛する気持ちも、国民に対する愛情もありません。

・あるのは「憎悪」、「恨み」、「嫉妬」「恐怖心」のような感情だけです。

・すぐれた思想とは、やはり、深い愛情に裏付けられた高度な知性によって確立されるものです。


・そのような知的巨人があらわれることを期待しています。


つづく



当ブログは、?.赤峰和の時事解説、?.時事放談(鼎談)、 ?.日本政治精神史、?.国際政治解説、?.提言、?.平成ネット塾、の六つで構成されています。時宜に応じて、テーマごとに分類して解説を加えてまいります。


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